徒然なる、谺の戯言日記。
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02 病院
病院は、正直好きじゃない。
多分、好きな人なんて稀少だろうけど。
私は足を踏み入れるのも、視界にその建物を入れるのも、好きじゃない。
病院には、嫌な思い出しかないから。
それでも行かなきゃならない。
社長には、返しても、返しきれないくらいの、恩があるから。
入院患者の見舞い専用の出入り口は帰る人がちらほら。
その人達を避けるように、私は扉を潜った。
「琳子ちゃん」
思わず、全身硬直。
普段ならそんな事はないけど、自分の名前を呼ばれた事に、その声に、自然と反応してしまった。
「…竜馬さん」
「仕事、お疲れ様。会社の方は大丈夫だった?」
「はい。益永さんから連絡を頂いて、皆さん、一安心したようでした」
「そう。親父が迷惑かけるね」
「いえ、全く。迷惑など、一つもないです。自分で望んだ事ですから」
「そういう意味じゃないよ」
困ったように笑った竜馬さんが、ぽんっと私の頭に手を乗せる。
「強張った顔してたよ? 此処、本当は来るの嫌だったんだろう? ―――それに、私が此処にいたのも、驚かせたね」
その言葉に、再度、硬直。
余り喜怒哀楽が激しい方じゃないから、こんな事って滅多にないんだけど。
どうにも、弱い。
この場所だけじゃなくて、竜馬さんにも。
「すみません。余計な心配をかけて、今、大変な時なのに」
「いいんだよ、そこまで他人行儀にしなくて。琳子ちゃんは、娘とも思ってるんだから。…とは言え、親父もそう思ってる様だから、私からすると妹と言った方がいいのかな」
「それだと、竜馬さんの息子さんより年下の妹になっちゃいますよ」
「確かにね」
苦笑した私に、にっこりと、いつもの優しげな笑みを竜馬さんが浮かべて肩を竦めた。
つられて私も肩を竦める。
「親父が待ってるからこのくらいにしておこうかな。病室、305号だから。それと、もし、遅くなりそうな時は連絡を入れるようにね? 誰か迎えをやるから」
「私、一人で帰れますよ? それに車で来てるので、迎えは大丈夫です。第一、もう26歳なんですから、一人で帰れないと駄目じゃないですか」
私の科白に、きょとんとした顔をして、それから小さくクスクスと笑った。
「確かに、いつまでも子供のままな訳がないよね。それじゃ、此処を出る前に連絡を入れて貰えるかな。夕食の用意しておくし、お子様がヘンな問題起こすかもしれないからね」
「……はい」
「いつも琳子ちゃんには迷惑かけっぱなしだ」
「その点に関しては、否定しないでおいておきます」
苦笑した私に、同じように苦笑して、竜馬さんは「それじゃ」と小さく言って、すれ違うように出入り口から出て行く。
その背を見送ってから、両手をぐっと握りしめて、私は病室へと向かう。
竜馬さんのお陰で気が少しだけ楽になったし、口に出してああいう風に言ったという事は、本当に私はそういう顔をしていたんだと思う。
歩きながら、かなり酷い顔をしていたんだろうと今更になって実感した。
そんな顔をしたまま病室へ行ったら、きっと大変な事になっただろうから。
それでなくとも、心配をかけてると言うのに。
305号室。
斎賀京一郎(さいが きょういちろう)。
病室と、名前も確認。此処だ。
さて、最初に何と言おう。
とりあえず、深呼吸を一つ。
それからドアをノックして、返事を聞かずに扉を開く。
「琳子」
開ききる前に自分の名前を呼ばれて、一気に何かが抜け落ちた。
倒れた時からは想像も付かないくらい、普段通りの優しい声だったから。
けれど、開いたその部屋は、安堵した私を再び落とすくらいの勢いをしっかり持ってて。
TVで見た事しかないような機械が置いてある。
コードが何本も合って、それらに繋がれてる。
点滴くらいは、流石にわかるけど。
「会社の方は、何も心配ありません」
気を引き締め様と思ってた私の口から出た科白は、そんなモノだった。
別にそれを最初に言うつもりは全くなかったのに。
「マスから聞いたよ。心配かけたね」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、肩を竦める。
私はその姿を見つめ、溜息を一つ。
「丁度良い機会ですから、ゆっくり休んで下さいね? お休みなんて、滅多に取られないんですから」
「そうだな」
何度言っても聞いてもらえなかった科白、それなのに、返ったのはこれまで一度も聞いた事のない同意だった。
思わず、凝視するように見つめ返してしまう。
驚かない訳がない。
私の知る限り、この人が仕事を休んだ、という記憶が全くないからだ。
何時だって、休みなく動いていた。
益永さんが何時だったか「マグロと一緒で動いてないと死んでしまうんだよ」と苦笑してた事があるくらい、止まってるのは寝てる時だけなんじゃないかと思えるくらいだったから。
「そこまで驚かれるとは思わなかったが…」
苦笑して呟かれた科白に、ハタとする。
「いえ、普通に驚くと思いますけど。社長の辞書に、自分が休む、という単語はないと思ってました」
「まさか、そんな訳はない。…ただな、大変でもそれが愉しいし、完成した時の喜びを思えば苦労などヘでもない、喜んで愉しそうにしてる子供達の顔を見ると、疲れなんてふっとんだからな」
「躰の疲れは取れませんよ、それでは」
「全くだ」
しみじみ痛感したとでも言うように、大きく頷く姿に、私は何だか嫌な予感を覚えた。
いつだって子供みたいに、元気一杯で、落ち込んだかと思えばすぐに立ち直って、前以上に元気になっていた姿とは、何だか違って見えたから。
「琳子、此処は会社ではないよ。堅苦しいのは抜きにしよう。まずは、何時までも立ってないで座ったらどうかな?」
「わかりました」
小さく肩を竦めて、傍にあった椅子に腰を降ろした。
静かな眼差しで見守られるのはいつもの事だけど、いつまでたっても慣れそうにもない。
何だかちょっと気恥ずかしい。
「此処へ来るのは、平気だったか?」
「はい、と言いたい所ですが、入り口の所で竜馬さんに会いました。かなり酷い顔だったみたいです」
「そうか。無理もないな」
「こればかりは、慣れようがありません。避けてましたから」
「もう、18年か」
「はい…。お爺様に初めて会ってからも、そうなります」
目を細めて、遠くを眺めるようにした姿に、私は視線を逸らした。
社長――斎賀京一郎は私の父方の祖父にあたる。
この人に私が初めて会ったのは、両親が亡くなった後だった。
やんちゃ坊主がそのまま大人になったような父は、何を勘違いしたのか、祖母の言葉を自己解釈し、結婚を反対されていると思い込んで駆け落ちしたらしい。
松浪は、母の性。
私の記憶にある父の姿も、休みのたびに、まるで子供のように我先に遊びに夢中になっていた姿だ。何処へ行くのも、私を遊ばせるためというのは名目でしかないと――名目なんて言葉は当時知らなかったけど――幼心に気付いていた。母も一緒になって愉しんだり、その姿を嬉しそうに眺めていた。
そんな私の両親は、自宅が火事になって他界した。
所謂専業主婦だった母が家にいたのはともかくとし、平日の昼間に家にどうして父が家にいたのかは、未だにわからない。私は当時、小学三年生だった。
学校で先生から話を聞いて、言っている意味がよくわからなかったのを覚えている。
その後、病院へ連れて行かれ、竜馬さんに会った。
父の兄である竜馬さんは何度か家に遊びに来た事があったけれど、それでも、何故か怖いと思ったのは覚えている。
両親とは、その日の朝、顔を会わせたきりで、亡くなった姿を見てはいない。
私の記憶では、優しげに――むしろ愉しげに、笑っていた姿だけ。
あの火事は、その日まで私が持っていたモノの全てを、私から奪っていった。
それを思い出すから、私は病院が嫌いだった。
遠い目になってる祖父の姿に不安が過ぎる。
私にそれを思い出させようと来いと言う訳はないから。
勿論、言われなくても来たけれど。
昼間の悪寒を再度感じて、軽く身震いした。
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病院は、正直好きじゃない。
多分、好きな人なんて稀少だろうけど。
私は足を踏み入れるのも、視界にその建物を入れるのも、好きじゃない。
病院には、嫌な思い出しかないから。
それでも行かなきゃならない。
社長には、返しても、返しきれないくらいの、恩があるから。
入院患者の見舞い専用の出入り口は帰る人がちらほら。
その人達を避けるように、私は扉を潜った。
「琳子ちゃん」
思わず、全身硬直。
普段ならそんな事はないけど、自分の名前を呼ばれた事に、その声に、自然と反応してしまった。
「…竜馬さん」
「仕事、お疲れ様。会社の方は大丈夫だった?」
「はい。益永さんから連絡を頂いて、皆さん、一安心したようでした」
「そう。親父が迷惑かけるね」
「いえ、全く。迷惑など、一つもないです。自分で望んだ事ですから」
「そういう意味じゃないよ」
困ったように笑った竜馬さんが、ぽんっと私の頭に手を乗せる。
「強張った顔してたよ? 此処、本当は来るの嫌だったんだろう? ―――それに、私が此処にいたのも、驚かせたね」
その言葉に、再度、硬直。
余り喜怒哀楽が激しい方じゃないから、こんな事って滅多にないんだけど。
どうにも、弱い。
この場所だけじゃなくて、竜馬さんにも。
「すみません。余計な心配をかけて、今、大変な時なのに」
「いいんだよ、そこまで他人行儀にしなくて。琳子ちゃんは、娘とも思ってるんだから。…とは言え、親父もそう思ってる様だから、私からすると妹と言った方がいいのかな」
「それだと、竜馬さんの息子さんより年下の妹になっちゃいますよ」
「確かにね」
苦笑した私に、にっこりと、いつもの優しげな笑みを竜馬さんが浮かべて肩を竦めた。
つられて私も肩を竦める。
「親父が待ってるからこのくらいにしておこうかな。病室、305号だから。それと、もし、遅くなりそうな時は連絡を入れるようにね? 誰か迎えをやるから」
「私、一人で帰れますよ? それに車で来てるので、迎えは大丈夫です。第一、もう26歳なんですから、一人で帰れないと駄目じゃないですか」
私の科白に、きょとんとした顔をして、それから小さくクスクスと笑った。
「確かに、いつまでも子供のままな訳がないよね。それじゃ、此処を出る前に連絡を入れて貰えるかな。夕食の用意しておくし、お子様がヘンな問題起こすかもしれないからね」
「……はい」
「いつも琳子ちゃんには迷惑かけっぱなしだ」
「その点に関しては、否定しないでおいておきます」
苦笑した私に、同じように苦笑して、竜馬さんは「それじゃ」と小さく言って、すれ違うように出入り口から出て行く。
その背を見送ってから、両手をぐっと握りしめて、私は病室へと向かう。
竜馬さんのお陰で気が少しだけ楽になったし、口に出してああいう風に言ったという事は、本当に私はそういう顔をしていたんだと思う。
歩きながら、かなり酷い顔をしていたんだろうと今更になって実感した。
そんな顔をしたまま病室へ行ったら、きっと大変な事になっただろうから。
それでなくとも、心配をかけてると言うのに。
305号室。
斎賀京一郎(さいが きょういちろう)。
病室と、名前も確認。此処だ。
さて、最初に何と言おう。
とりあえず、深呼吸を一つ。
それからドアをノックして、返事を聞かずに扉を開く。
「琳子」
開ききる前に自分の名前を呼ばれて、一気に何かが抜け落ちた。
倒れた時からは想像も付かないくらい、普段通りの優しい声だったから。
けれど、開いたその部屋は、安堵した私を再び落とすくらいの勢いをしっかり持ってて。
TVで見た事しかないような機械が置いてある。
コードが何本も合って、それらに繋がれてる。
点滴くらいは、流石にわかるけど。
「会社の方は、何も心配ありません」
気を引き締め様と思ってた私の口から出た科白は、そんなモノだった。
別にそれを最初に言うつもりは全くなかったのに。
「マスから聞いたよ。心配かけたね」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、肩を竦める。
私はその姿を見つめ、溜息を一つ。
「丁度良い機会ですから、ゆっくり休んで下さいね? お休みなんて、滅多に取られないんですから」
「そうだな」
何度言っても聞いてもらえなかった科白、それなのに、返ったのはこれまで一度も聞いた事のない同意だった。
思わず、凝視するように見つめ返してしまう。
驚かない訳がない。
私の知る限り、この人が仕事を休んだ、という記憶が全くないからだ。
何時だって、休みなく動いていた。
益永さんが何時だったか「マグロと一緒で動いてないと死んでしまうんだよ」と苦笑してた事があるくらい、止まってるのは寝てる時だけなんじゃないかと思えるくらいだったから。
「そこまで驚かれるとは思わなかったが…」
苦笑して呟かれた科白に、ハタとする。
「いえ、普通に驚くと思いますけど。社長の辞書に、自分が休む、という単語はないと思ってました」
「まさか、そんな訳はない。…ただな、大変でもそれが愉しいし、完成した時の喜びを思えば苦労などヘでもない、喜んで愉しそうにしてる子供達の顔を見ると、疲れなんてふっとんだからな」
「躰の疲れは取れませんよ、それでは」
「全くだ」
しみじみ痛感したとでも言うように、大きく頷く姿に、私は何だか嫌な予感を覚えた。
いつだって子供みたいに、元気一杯で、落ち込んだかと思えばすぐに立ち直って、前以上に元気になっていた姿とは、何だか違って見えたから。
「琳子、此処は会社ではないよ。堅苦しいのは抜きにしよう。まずは、何時までも立ってないで座ったらどうかな?」
「わかりました」
小さく肩を竦めて、傍にあった椅子に腰を降ろした。
静かな眼差しで見守られるのはいつもの事だけど、いつまでたっても慣れそうにもない。
何だかちょっと気恥ずかしい。
「此処へ来るのは、平気だったか?」
「はい、と言いたい所ですが、入り口の所で竜馬さんに会いました。かなり酷い顔だったみたいです」
「そうか。無理もないな」
「こればかりは、慣れようがありません。避けてましたから」
「もう、18年か」
「はい…。お爺様に初めて会ってからも、そうなります」
目を細めて、遠くを眺めるようにした姿に、私は視線を逸らした。
社長――斎賀京一郎は私の父方の祖父にあたる。
この人に私が初めて会ったのは、両親が亡くなった後だった。
やんちゃ坊主がそのまま大人になったような父は、何を勘違いしたのか、祖母の言葉を自己解釈し、結婚を反対されていると思い込んで駆け落ちしたらしい。
松浪は、母の性。
私の記憶にある父の姿も、休みのたびに、まるで子供のように我先に遊びに夢中になっていた姿だ。何処へ行くのも、私を遊ばせるためというのは名目でしかないと――名目なんて言葉は当時知らなかったけど――幼心に気付いていた。母も一緒になって愉しんだり、その姿を嬉しそうに眺めていた。
そんな私の両親は、自宅が火事になって他界した。
所謂専業主婦だった母が家にいたのはともかくとし、平日の昼間に家にどうして父が家にいたのかは、未だにわからない。私は当時、小学三年生だった。
学校で先生から話を聞いて、言っている意味がよくわからなかったのを覚えている。
その後、病院へ連れて行かれ、竜馬さんに会った。
父の兄である竜馬さんは何度か家に遊びに来た事があったけれど、それでも、何故か怖いと思ったのは覚えている。
両親とは、その日の朝、顔を会わせたきりで、亡くなった姿を見てはいない。
私の記憶では、優しげに――むしろ愉しげに、笑っていた姿だけ。
あの火事は、その日まで私が持っていたモノの全てを、私から奪っていった。
それを思い出すから、私は病院が嫌いだった。
遠い目になってる祖父の姿に不安が過ぎる。
私にそれを思い出させようと来いと言う訳はないから。
勿論、言われなくても来たけれど。
昼間の悪寒を再度感じて、軽く身震いした。
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