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This blog is Written by 小林 谺,Template by ねんまく,Photo by JOURNEY WITHIN,Powered by 忍者ブログ.
徒然なる、谺の戯言日記。
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 01 始まりの、始まり


 初めまして。
 私、松浪琳子(まつなみ りんこ)。
 26歳独身、社長秘書とかやってます。
 半年ほど前に、第一秘書になりました。
 というか、私だけしかいないですけど。
 いえ、それはいいんです。
 今はそれどころではなくて。

「松浪さん、益永さんからお電話です」
「はいっ!」

 益永さんは、会社創設時――3人で始めたらしいけど――から社長を補佐してきた元秘書の人。
 定年を迎えるにあたって、引継ぎ等の理由から半年の余裕を持ってと言われて離れたんですけど、実際は現場に付きっきりになりたかっただけのような…って、そうじゃない。
 我が社は現在、大変な状況なんです!
 昨日、社長が倒れてしまって。
 それでも仕事に穴を開けられないからと私は出勤していて、益永さんが社長に付き添っていた訳です。

「お電話代わりました、松浪です」
「松浪君、社長、意識が戻ったよ」
「本当ですか…?」
「ああ。今、息子の竜馬(たつま)君が医師から詳しい話を聞いてるが、会話が出来るから大丈夫だろう」

 益永さんの言葉に、思わず泣きそうになった。
 とはいえ、此処は会社なのでそうもいきません。
 っていうか、泣いたら変な勘違いされてしまうし。

「それで、松浪君。会社の方はどうかな? 自分の躰の事より、あの人は会社の心配を一番最初に口にしたよ」

 困ったように笑って、益永さんはそう言いました。

「はい、現在の所、特に問題は起きていません。…強いて言うなら、みんな不安そうな顔で必死に通常業務をこなそうとしていますけど」
「そうか。では、そう伝えておこう」

 益永さんも心配だったのか、安堵したような声。
 結局、社長も益永さんもとことん会社人間っていうか、この会社、本当に好きだよね。
 自分の子供みたいなモノだって以前言ってたのを聞いた気がするし。

「ああ、皆にも、社長は大丈夫だと伝えておいてくれ」
「わかりました」
「それと、仕事が終ったらこっちに顔を出してもらえるかな?」
「言われなくても行きますよ」
「それもそうだな」

 少し拗ねたような口調で言った私に、思いっきりの笑い声で益永さんは頷いた。
 それもちょっとどうかと思うんだけど…。
 病院から電話してるのに、大声で笑って怒られたりしないのかな、なんて思ってたら、やっぱり注意されたのか、背後に女性の声が小さく入る。

「と、すまんな。そろそろ病室に戻るとするよ」
「はい。6時にはそちらにいけると思います」
「わかった。私も、明日は会社に顔を出すつもりだ」

 そこまでで、電話は切れて。
 受話器を置いて顔を上げた私は、仕事の手を止めて一点集中している同僚の視線に気付いたのでした。
 遅。

「仕事して下さい」

 思わず、食い入るように見つめられていたので――それに気付かなかった自分の迂闊さにも厭きれたのもあり――尖った声で言ってしまった。
 言った自分が一番驚いたんだけど、何ていうか、場の空気が途端に氷河期。
 気を取り直すように、小さな咳払いを一つ。

「皆さんがお仕事を再開して下さいましたら、益永さんからの伝言をお伝えします」

 苦笑しつつの私の言葉に、みんな慌てて、止めていた仕事を再開。
 どたばたって擬音が似合いそうな光景…。
 じゃなくて。

「まず、社長ですが、意識が戻られたそうです。詳しい事は、明日にでも、益永さんからお話があると思います。出社すると言ってましたから」

 その声に、まさに、わぁっという歓声。
 仕事の手なんかそっちのけで、みんな凄い嬉しそう。
 さっきまでの不安顔はどこへやら。

「社長は、会社の事を一番最初に口にしたそうです。これ以上心配のタネを増やさないためにも、皆さん、仕事しましょう」

 私も顔が緩んでしまうのは仕方ない。
 みんなが喜ぶ気持ちも凄くよくわかる。
 でも、仕事はしないといけない。
 こっちが心配してる社長だって、逆にこっちの心配しちゃってるんだから。

「営業行って来ます」

 普段は朝から晩までいないくせに、今日は珍しく事務所で書類と睨めっこしてた牧原さんがそう言いながら席を立つ。
 社長の安否を聞くためだけに此処にいたとしか思えない行動。

「これで安心して仕事出来るな」
「全くだ、オレも行って来る」

 ぽつりと牧原さんが続けた科白で、先の思考は肯定された。
 更に、今井さんが頷いて同じように席を立つ。

「あれって、今まで仕事せずに座ってたって事?」

 二人揃って仲良く去るその背に向かい、経理の松村さんがぽつりと一言。
 私もそう思ったけど、流石に口には出来なかった。
 牧原さんも、今井さんも、私より20も年上だし……。
 勤続20年を超える、松村さんにしか言えない科白。

「彼等にとっては、此処での書類整理は仕事の準備と後片付けという認識だからね」

 同じく営業の河野さんが苦笑してそう答えた。
 肩書きは、営業部長。とは言え、営業は4人しかいない。当然、河野さん自身も含んで。
営業を兼任しているのか、営業部長を兼任しているのか、此処で働いて7年経つけど未だにわからない。多分、後者だろうけどね。
 ちなみに、会社創設時の3人の内の最後の1人。

「河野さんの教育の賜物?」
「ははは、松村さんには勝てませんよ」
「またまた~。褒めたって何にも出ないわよ~?」
「お世辞じゃないよ。そうだよね、三石さん?」

 急に話を振られて、パソコンと睨めっこしてた朋美が顔を上げた。
 
「そうですね。河野さんは、教え方がとても上手ですし、よく面倒を見てくれますし。仕事以外の相談まで乗ってくれたりとか、頼りにもなります」

 朗らかな笑顔で頷いた。
 朋美は、私と同期入社。
 他社で2年勤めた後の再就職で、年は私より1歳上だったりするけど、元々高校の先輩で仲が良かったから、就職試験の時に顔を合わせてびっくりしたんだよね。
 当時は朋美先輩って呼んでたんだけど、此処じゃ同期なんだから先輩いらないでしょって言われて、今は呼び捨て。
 
「あ~それ、違う違う。三石さんは教える事、特になかったから。即戦力ってこういうコを言うの、私も助かってるしね」

 どうでもいいけど、総務と経理を同じ人が担当してる。
 三石さんの前にも人はいたらしいけど、寿退社しちゃって、河野さん一人で大変だったらしい。
 尤も、河野さん曰く、「社長に益永さんが手伝ってくれてね、昔取った杵柄とか言っちゃって。だからそう大変でもなかったよ」という事らしい。
 周りで見てて大変だったんだろうな…。
 本人に自覚ないだけで。

「即戦力と言えば、松浪さんもね。技術屋の豊島君もそうだけど、この時の入社社員はみんな上手く育ってくれてるよね」

 って、いきなり河野さんがこっち向いた。
 私と言えば、いつもの歓談をさておき、机に座って書類整理の続きをしてた訳で。
 確かに聞き耳はしっかり立ててたけど、どうしてこっちに振るかな…?

「河野さん、褒めても何も出ません」

 苦笑しての私の科白に、河野さんは本当に愉しそうな笑みを浮かべた。

「ほら、やっぱり。しっかり育ってるじゃないか」
「松村さんは、私にとっても頼りになりますし、かつ、見習う所が多々ある女性の先輩ですから」

 さも当然というように肩を竦めて答えた私に、河野さんは高らかな笑い声を上げた。

「私を見習うなら、松浪さんもそろそろ結婚しないと」
「急に話題がそちらに飛びますか?」
「だって女性の特権よ? 結婚して、出産してって」
「いや、それはそうかもしれませんが…。私はまだまだ…」
「琳子は彼氏がいないから、結婚以前の問題かと思いますけど?」
「それ、フォローになってません」
「でも事実だし?」
「松浪さんなら彼氏の1人や2人、作ろうと思えば作れるでしょーに」
「無理です、松村さん。琳子に手を出そうものなら、屍の山が出来上がります」

 普段の笑顔のままであっさりと不穏な事を口にした朋美の発言で、場が、再度氷河期に。
 事実だけに私も反論出来ないんだけど…。

「さて、私も営業に出るとするかな」

 お茶を綺麗に飲み干して、河野さんが立ち上がる。
 普通に居辛くなったんだろうな…。
 出来るなら私も逃げたい気分、この手の話題は正直、苦手。

「3人とも、話の続きは昼休みにでも回して、そろそろ仕事を再開した方がいいよ?」

 入り口に立ってそんな事を言って、河野さんは扉の向こうへと姿を消した。
 自分で話を振ってきたのに。
 そもそも始めたのは、松村さんだけど…。

「逃げたね」
「そうですね」
「ま、河野さんの言う事も一理あるから。仕事しましょ」
「はい」

 経理兼総務部の二人は、親子のように仲が良い。
 趣味も似ているからなのか、外を歩いていて親子に間違えられた事があると聞いた事がある。
 実際問題、近い将来そうなりそうだという噂が漂っているのが怖い所だ。
 じゃなくて。
 私も仕事に戻らないと。

「今日、帰りに病院に寄りますけれど、社長宛てに何かありましたら言って下さい」

 それだけを伝えて、私は仕事に戻る。
 やる事は山ほどあるし、整理しなければならない事もたくさんある。
 何より。
 今更になって気になるのは、益永さんの科白だ。
 これまでを思えば、口に出さずとも、私が病院に寄るであろう事は簡単に予想が付いた筈なのに。
 何故、わざわざ、告げる必要があったのか。
 あれは確認の意図があったとしか思えない。
 それはつまり、何か、私にとって重要な事があるから。
 一瞬だけ不安が過ぎったが、目の前に集中する事にした。
 全ては、仕事が終った後だ。



 そうして、私は、後に、その不安が、気のせいではなくて。
 本能が告げた、危険信号であったのを理解する事になる。



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