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This blog is Written by 小林 谺,Template by ねんまく,Photo by JOURNEY WITHIN,Powered by 忍者ブログ.
徒然なる、谺の戯言日記。
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使用ブログを統一し作業効率のUPを目指すために、
単体で展開していた「寝言」をこちらへ移す事にしました。

→にある「リンク」を使って「寝言」のTOPページに移動可能です。
1度に全部はキツそうなので、少しずつ作業していく感じになります。
現在、01~05までの引越しが終了しました。
「小説目次」からのリンクは、引越しが全て終わった時点で張りなおします。


全部終わったら現行の「寝言」のページは消します。
それまでの間は重複している状態が続きますが、宜しくお願いします。
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 05 そして、歯車は狂う


 4月になりました。
 春です、桜はまだ3部咲きという所ですけど、春です。
 今年は新入社員が――琥珀を入れて――4人。
 営業が1人、技術屋が2人、そして、正式に社長に就任した琥珀、と。
 入社式は昨日すませて、今日から業務開始です。

 開始、なんですけど……。

「琥珀っ! いい加減に起きなさいっ!!!!」

 いつの間にドアに鍵なんてかけたのよ!
 3日出張ででかけて、そのまま両親のお墓参りをして、昨日帰って来た。
 留守にしたのは4日、昨日こっちに戻って来て、そのまま入社式に出席して。 
 今日は早朝に全社員集合して朝礼、その後、各部署の代表会議をやるから、時間早いって言っておいたのに。
 さっきからドアを叩いてるのに起きる気配ゼロ……。

 面倒だから、いっそ壊して―――――て、落ち着け私。
 冷静に、冷静に。

「琥珀! 5秒以内に起きないと、おいてくからねっ!!」

 左手にはめた時計を見る。
 これで起きなければ、本当に、もう知らない。

「5」

 もう学生じゃないんだから、朝くらい一人で起きろって言うのよ。
 第一、昨日まではきちんと起きてたって竜馬さんが言ってたのに…。

「4」

 本当に社長なんて務まるのか、本気で心配。
 勿論、琥珀じゃなくて、会社の方が。
 倒産とか乗っ取られたりしなければいいけど…。

「3」

 会議の内容だって、説明したけど、絶対、興味ある部分しか覚えてないだろうし。
 琥珀だけに。
 最低3度は繰り返さないとならないってのに。

「2」

 寝惚けてても返事くらいするのに、それが全くないって事は、完全に熟睡してる。
 これだけ五月蝿くしてるのに、どうして起きないのよ、コイツは。

「1」

 ドアを叩くのをやめる。
 流石に手が痛んできたし、声も枯れ気味。
 朝から何でこんな疲れないといけないのよ……。

「0」

 しーん。
 無音……。
 起きてない、ね。
 お爺様、やっぱり、私にも無理だったみたいです。
 琥珀は調教できません…。

「―――なんて、言う訳ないでしょうがーっ!!!!!」

 どがぁんっ!

 痛恨の一撃。
 それはもう渾身の力を込めて、全身を絞って、左の拳を突き出した。
 当然、捻りを加えたコークスクリュー。
 これで私は鋼鉄の―――と、それはいい。

 問題は、この、結局壊してしまったドア、どうしよう………。
 勢い付いて飛んだドアは、1メートルほど先に落ちてる。
 どうして留め金ごと飛んでるんだろう、私は化け物か。
 それから。

「まだ寝てる…」

 聴覚壊れた? どうして今ので起きないのよ、コイツ。
 しかも幸せそうな顔してるし。
 せめて魘されて―――――て、そうじゃない。

 侵入。相変わらず雑多な物が多い部屋、成長の兆しが全く見られない。ゴミとか落ちてないだけマシなのかもしれないけど。
 壊れたドアを踏みつけて、布団の傍へ。
 どうでもいいけど寝相が悪すぎ。しかも大の字で寝てるって何様よ。
 未だ夢の中のこの男。
 さて、どうしてくれようか……。

「琥珀、起きる時間」

 言いながら、右の拳を腹部あたりにねじ込んだ。
 私は左利き。
 一応、手加減はしてる、つもり。

「うぇ……」

 熟睡中で緩んでるから、それはもう痛いでしょうね。
 横向いてくの字になって痛がる姿に、溜息を一つ。
 手加減はしても、琥珀に対して容赦するという言葉は何処かへ投げ捨ててある。

「起きた? さっさと用意して、仕事に行く時間」
「―――り、りんちゃ……」
「起きろって言ってるの!!」

 すぱこーん。

 フルスイングで後頭部を叩いた。
 思わず左手でやってしまったけど、平手だからきっと大丈夫。

「痛い……」

 涙目で後頭部をさすりつつ、躰を起こす。
 遅い。
 けど……、殴られる事に耐性でも付いたのかな。
 もう平気みたいな顔をして、瞼を擦ってる。

「叩いたから当たり前でしょう? それより、今日、朝早いって話をしたの、覚えてるよね?」
「あー……あ、ああ。うん? そうだっけぇえええん、覚えてる!」

 半眼で睨む。
 本当に忘れてた。
 やっぱりとしか言いようがないのが、哀しいけど……。
 途中から頷いたって、「そうだっけ」と言ってる時点で、バレると気付こうよ。
 学習能力がない、凄く今更だけど。

「…ちょ、朝礼と、えーと、会議……だっ、た?」
「そう。しっかりしてよね、今日から、“代理”が取れるんだから」
「あ、うん…。あはは、あんまよくわかんな 「5分で支度して」
「…ご飯食べ 「5分以内ならね」
「琳子、オレのこと嫌い?」

 朝から捨てられた仔犬にならないで欲しい…。
 こんな事してる余裕もないのに。

「うう、やっぱ嫌いか。黙ってるって事は」
「そうね。20歳超えてるのに、朝も自分で起きられないような人は」
「………ごめんなさい」
「後、4分18秒」
「減ってる!?」
「時間はどんどん過ぎるから」
「す、すぐ! すぐ用意するからっ、外で待ってて」
「二度寝したら置いてくからね」

 そう言ってきびすを返す。
 本当に、時間ギリギリなんだから。

「しないっ!!」
「遅れても置いて行くから」
「え゛」

 さっさと部屋を出て、入り口のところに置いてあった鞄を手に、玄関へ。
 これから毎朝こうなのかと思うと、溜息しか出てこない。
 
「これから大丈夫かな…―――と、しまった」

 人の事を言う前に、自分が忘れてる。
 新人歓迎会の案件、昨日必死に考えてまとめたヤツを忘れてる。
 毎年思うんだけど、何でコレを年度始めの重役会議で決めるのか謎だ。
 参加者全員が内容考えてくるってのも更に謎だし、全社員参加というのも謎だし。
 ま、人数が70人もいないから可能な年度一番最初の社内イベントってヤツなんだけど。
 お爺様の趣味に違いないんだろうけど、きっと、お爺様が社長っていうよりはガキ大将で、各部署の代表がそのグループメンバーみたいな感じだからだろうな、と。だから重役会議で内容決めるんだろうな、と。
 ヘンな話だけど。
 みんなで遊んで騒ぐの大好きだしね。
 だからあの会社にいられるというか、何というか。
 
 苦笑しつつ部屋に戻って、パソコンの隣にやっぱり置き去りにされていたA4の用紙を確認してバックに仕舞う。
 これ忘れたら今日の会議で私が怒られるハメになる。
 新人歓迎会の案を用意してなかっただけで怒られるのも、謎だけど……。

 もう忘れ物はない筈と脳内反芻しながら駐車場までやってきて、私の顔が引き攣ったのはきっと仕様。

「何してるの?」
「かーぎ」

 駐車場にいるのは、いい。
 私の車で通勤するから、そこにいるのも間違ってない。
 でも。

「琥珀は助手席」

 何で運転席側に立ってるのか……。

「オレ免許持ってるって」
「知ってるけど」
「会議の内容、説明してよ」
「……やっぱり覚えてない? そうだろうなとは思ってたけど」
「さっすが琳子。オレの事は何でもお見通しだな!」
「嬉しくない」
「即否定!? 酷いよー。褒めたのに」
「だから、嬉しくない」
「ううう、琳子がいぢめるー」
「朝から五月蝿い。それで、何でそっちにいるのよ。それは私の車」
「知ってるよー。だから、行きながら話聞くのに。流石の琳子も書類とか見ながら運転無理でしょ?」
「簡単な内容くらいなら覚えてるわよ」
「いや、きちんと言ってもらわないと」

 にへら、と反省ゼロの顔。
 そうか。これは、あれか。
 全く覚えてないって事ね……。

「事故らないでよね」
「琳子ってオレに対してだけ冷たくない?」
「甘やかすとロクな事にならないから」
「うう、酷い」

 そう言いながら手を差し出すし。
 琥珀の辞書に“反省”って文字は絶対存在してない。
 わかってない、わかってないし。

「あんたが免許取った直後に、竜馬さんの車大破させたの忘れてないから」

 ぴしり、と硬直。
 私が過去、琥珀のせいで入院した事件その2。
 あの時は本気で死にかけて臨死体験してたんだから、同じ過ちを2度繰り返すわけにはいかない。

「琳子、オレのこと、更に恨んでる!?」
「どうしてあんたが無傷で私が集中治療室だったのか、未だに謎」
「“あんた”って言ってるよ、琳子!!」
「五月蝿いわね。ぶつぶつ言ってないで、あんたは助手 「時間ないんだろ!」

 今度は私が硬直する番。
 時計を見やる。

 7:23―――――。

 会社まで車で片道27分。今日は全社員朝礼があるから、7:45には到着してないと、まずい。
 社長が朝礼に遅刻なんてありえない。
 50分から朝礼は始まるけど……ぎりぎり!?

「琳子、固まってないでかーぎ!! 助手席乗って、会議の概要説明っ!!」

 概要なんて言葉、良く知ってたね。
 って、違うでしょう。私。落ち着け。落ち着―――

「琳ちゃん! 何やってるの、早く早く!!」
「もとはと言えば、あんたが起きないのが悪いのよっ!!!!!」

 ごすっ。

 頭をかかえて蹲る琥珀に、私は深呼吸。
 全然落ち着けてない、私……。

「安全運転で朝礼に間に合うように、更に、速度違反にならないよう飛ばしなさい」
「琳ちゃん、それ無理難題だからっ!!」

 ちゃり、と鍵を目の前に吊るされ鍵をしっかり受け取る琥珀。
 どうでもいいけど、何で涙目なのよ……泣きたいのはこっち。泣けるものなら。

「琳ちゃんって呼ばないでくれる?」

 じろりと一睨みして、さっさと助手席に回り込んでドアを開く。

「いつ鍵あけた!?」
「さっさと動く! 時間ぎりぎりなんだからっ!!」
「は、はいぃっ!」

 慌てて車に乗り込む姿に、全身で息を吐き出した。
 朝からどうしてこんなに疲れないといけないんだろう……。

「しゅっぱつしんこー!!」

 水を得た魚のような顔になった琥珀の横顔に、もう一度溜息。
 エンジンがかかって動き始めた車に、私は手持ちの鞄を開く。
 とりあえず、時間はかなり押してる。
 更に、つくまでの間に、興味のない事は聞いた傍から忘却の彼方へ追いやるこの脳に、しっかり話をしないといけない。

「あ、そーだ」
「何?」
「今日って、あの話もあったよな?」
「あの話じゃわからないけど」
「体感RPG!!」
「いちいち叫ばなくても聞こえる」
「う……ごめん」
「試作品の話ね、確かにあったけど……。体験プレイヤー募集要項とか、正直そっちは営業に任せてもいい気がするし、きちんとした内容説明とかで終ると思うけどね。その話は。言わなくても、それ中心で進めてたふしがあるから、皆大まかには知ってるだろうし」
「オレやりたいんだけど!!」
「そう」
「え、それだけ?」
「社長業務終らせた後なら別にいいけど。それだけの余裕があれば」
「それってダメって言ってるじゃんかー!!」
「それより重要なのがあるでしょう、今回は。確かに、重役会議って言っても、ほとんど身内と化してるし、ほぼ毎日会わせる顔だけど、でもね? 琥珀が代表取締役としての務めをしっかり果たしてもらわないと困るの」
「うう、わかってるよぉ」
「わかってないから言ってる。今のまま行ったら、会社が倒産するよ? 将来」
「う……それは困る」
「だったらきっちり仕事する。会議の内容なんて前日にきちんと確認して、頭に叩き込んでおきなさい」
「……はい」
「それじゃ、しっかり叩き込みなさいよ」

 今は時間が惜しいから。
 残り時間20分。
 間に合うか不安だけれど、それ以上に琥珀の方に不安が有り過ぎる。
 一息ついて、資料をめくる。ページ数は5枚と少ないのに、どれもこれも小さい文字がびっしりと。
 どうして昨日と同じ事をしてるんだろうと、頭が痛いけれど。
 一つ一つ簡単に説明しながら、出席者の名前も挙げて。
 社員の顔と名前は覚えておくよう散々言っておいたから、そこは大丈夫のようで少しだけ安堵した。
 


 けれど。
 私は、本当に、一番大切な事を忘れていた。
 “琥珀に関わるとロクな事がない”。
 身にしみてわかっていた筈なのに、このときの私は、すっかりそれを忘れていたのだ。
 全ては―――――後の祭りだった。



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 04 移り変わるも、それが日常


 祖父が倒れてから、4ヶ月が経った。
 今では会社も落ち着いてるし、斎賀の家も落ち着きを取り戻している。
 先日、祖父が退院して、家に戻った。
 すっかり日常通り―――――とは、流石にいかないけれど、それでも、みんなに笑顔が戻ったと思う。

 私は、というと。

「松波さん、痩せた?」

 何度目かわからない質問を聞いた。
 元々、ガリガリとは言わないけれど、全体的に細長い私は、よく言えばスレンダー。悪く言えば幼児体型に近いものがある。
 出るトコ出てないだけなんだけど。
 質問の主な金窪さんは、営業さんの紅一点。物凄い美人じゃないけれど、35歳とは思えない可愛い人。
 見た目も小さくて可愛いいし、実際年齢よりは若干若く見られたりするけど、雰囲気もほんわかしてるせいだと思う。
 仕事に対しては鬼だけども。
 そんな可愛い顔が、苦笑して私を見ている。
 そういえば、直接間近で顔を合わせるのって久しぶりな気がする。

「やつれた、と言って下さい」
「……大変そうだもんね」

 溜息がちの私に返ったのは、酷く同情心に満ちた同意だった。
 無理もない。
 と、いうか、アレを見て、そう思わない人間がいたら、私は殴りたい。
 むしろ変わって欲しい。
 ……変われるものなら。

「でもね、あたしは人事だから、だけど。松浪さんには悪いけど、面白いと思うよ?」
「私も、遠巻きに見ればそれは思いますけれど。直接被害を被るので、勘弁して頂きたいです」
「そこは認めてるんだ。そかそか…。よく辞退しなかったね? エライエライ」
「流石に、益永さんから引継ぎをしたばかりなのに、退職する訳にもいかないでしょうから」
「……そこまでなの?」
「はい」

 真顔で頷いた私に、金窪さんは意外そうなものを見る顔をしてみせる。
 確かに、私がはっきりきっぱりと“誰か”を毛嫌いするってないから、珍しいのかもしれないけど。
 仕方ないじゃない、唯一の例外なんだから。

「そかそか、それじゃ、やつれてもしょうがないね。ナイスダイエット法を編み出したんなら教えてもらおうと思ったんだけど。後半年もしたら夏が来るしね」
「……好きで体重減らしたのと違いますよ。第一、増やさないといけないのに」
「細くて綺麗な手足なんだからいいじゃない。羨ましいよー色白だし、肌綺麗だもんね」
「代謝がいいですから、そこは。…でも、やはり」
「…男と間違えられてナンパされるのが嫌なのね」
「嫌ですね」
「だから髪、伸ばしたんだ?」
「そうです。でも、最近は長髪の男性も多いので、数が減ったという所ですけれどね」
「あはは、しょーがないね。松浪さん、顔イイもん」
「そうですか?」
「うん。身長あるし、すらーっとしてて綺麗だよ。モデルさんとか、出来たんじゃない?」
「……足りない部分があるかと」
「そんな事ないって。まぁね、だからって訳じゃないけど、社長も心配なんじゃない?」
「それはありません」
「即答なの?」

 何が可笑しいのか、金窪さんは大笑いをしてる。
 心配する事はあっても、される事はない筈なんだけど。
 第一、そんな愁傷な心がけがあったら、あれだけの厄介事を私に持ってくる訳ないし。

「松浪さんの事だから健康には気を付けてるだろうし、体調不良で貧血起こしたりはしないだろうから。別に心配はしないけど、でも、気を付けてね?」
「はい、有り難うございます。…金窪さんは、これから外ですか?」

 此処は、会社の地下。
 朝からこんな所で金窪さんに会うのは珍しい。
 何しろ、朝から営業先へ直行だし、会社へ戻ってきても工場へ足を運んでまた外出、夜も遅い時間になってから事務所へ戻ってきて書類整理をしているらしい。仕事熱心と言えばそうだけど、その可愛らしい外見からは想像も付かないくらいパワフルな行動力。

「そう。こっちの作業状態がどんなかなって。……前社長の、最後の願いっていうか夢? だったでしょ。何とか完成させてあげたいんだけどね」
「体感RPGですか」

 溜息。
 正直、今の状況でそれの開発に気合いを入れて進めるのは、世情を見て頷けない部分がある。
 ヴァーチャルリアリティを追求した、体感ゲーム。
 コントローラー等を使わずに操作し、視覚、聴覚、思考を元に、ゲームの世界の住人に、実際自分がなっているかのような錯覚を起こさせるモノ。
 昨年、他社で発売されたのが、そのジャンルの第一弾と呼べる代物だった。
 それは、シュミレーションRPG、所謂、育成ゲームだったのだけれど。
 そのリアルさに発売前から評判も高くて、当時は品切れ続出の店舗が目立ったほど。
 でも。
 それも、1週間も経たないうちに、波が引いて行くように、好評から酷評へと変わった。
 理由は簡単だ。
 リアル過ぎた事。実際、自分の身に起きた事のように、体感出来てしまっていた事。
 現実逃避を促進、とかなら、まだ、その影響も少なかったんだろうけど。
 ゲームと現実の区別が付きにくくなるとかは前々から不安は持たれてたけど、実際それが激しく出てて。育成ゲームだったのがいけなかったのかもしれないけど。
 更に、ゲーム内で体験した事がそのまま躰にまで影響を及ぼしてしまったり。
 ようは、入院患者が出る騒ぎになってしまった、と。
 そのため、幾つかの会社では、開発を見送った所もあったとか。

「そう。やっぱりね、躰への影響っていうのが一番ネックなんだけど……、松波さん、この話題、あまり駄目?」
「正直な事を言えば、筆頭に上げるべきではないというが私の感想ですけれどね」
「難しい問題山積みだから?」
「そうです」
「でも、これって夢っていうか、子供心に一度は憧れた事あるんじゃないの? ヒーローとか、ヒロインとか」
「私、そういうのなかった子供ですから」

 肩を竦めた。
 可愛くない子供だったかもしれないけれど、私は、真面目に好きじゃない。
 存在自体が“悪”である、完全懲悪物が、嫌いなだけなんだけど。
 スーパーヒーローなんて、ご都合主義の塊だし。
 悪役がいなかったら、完全に持て余した存在になるくせに、正義を振り翳してるのが嫌。
 誰にでも、その人それぞれに正義はあるものだし。
 第一、悪いヤツって言ったって、そういった物に登場するのは、往々にして生き延びるためにそうする必要があったからだ。
 そんな世間一般から見て、ひねくれた物の見方をする子供は少なかっただろうけど。

「そうなんだ。お姫様とかに憧れたりは?」
「ないですね。夢みがちな子供って普通かもしれませんけど、私は昔から現実主義だったみたいですよ」
「そっかぁ、でも、なんだかそれって、松浪さんらしいね」
「そう言って貰えると、嬉しいような、哀しいような」
「褒めてるんだよ。松浪さんって、誰とでも解り合える訳じゃないって、解ってても、そうする努力をするコだからね」

 自分事のように嬉しそうな顔で笑う金窪さんに、私は肩を竦めて返す。
 確かに、それはそうなんだけど。
 でも、言っても解って貰えない、というか通じない時は力技だからちょっと複雑だ。
 それでも先に手を出す事はないけど。
 一部の例外を除いて。

「さてと、それじゃ行って来ますかっ! 今日も一日頑張るぞーっ!!」

 両手を振り上げてガッツポーズで気合い十分。
 ……本当に可愛いのに、どうしてこういう所は少年っぽぃというか、男の人みたいなんだろう。
 不思議だ。
 尤も、だからこそ、この会社で、しかも営業なんて務まってるんだろうけど。
 流石ゲーマー。て、それは関係ないか。

「行ってらっしゃい。気を付けて下さいね」
「はーい。…松浪さんも、頑張ってね。社長の事とか」
「…はい」

 脱力して答えた私に、金窪さんは再度ガッツポーズを小さく決めて、きびすを返すとそのまま鼻歌交じりに階段を上っていく。
 何で、ゲームのBGMなんだろう……。
 その外見からは結び付け難い、金窪さんの趣味思考は、目の前にしても認めたくないような気がするのは私だけじゃない筈だ。

「体感RPG、ね」

 ぽつりと呟いた。
 今の状況でそれをどうこうっていうのは、やっぱり良くないと思うのだが。
 前社長、こと、祖父の願いであったのは事実だし。
 何より、後を継いだ――まだ学生の身分だけど――琥珀も、祖父に従うというよりも自身の願望で、そのまま進めるように言ってるという。
 私と違って、琥珀は子供の頃から、そういうのが好きで。
 何ていうか、頭が痛くなるんだけど、その琥珀が幼少時代に口にした、「身近なヒーローっていうと、琳ちゃんかな」、という科白が未だに私のトラウマになっている。
 可笑しいって思うかもしれないけど。
 そういうのもあって、私が琥珀を敬遠したいと思うというか関わりたくないと思うのに比例して、そっち系が嫌いになっていったというのも、実は嘘じゃない。
 ヒーローなんて、真っ平ごめんだ。
 好きでそんな事するヤツの気がしれない。

 と、違う。
 そうじゃない。
 頭を抱えて、金窪さんとは逆の方向へ。
 階段を下りてすぐの部屋をスルーして、最奥のドアの前に立つ。
 それも問題かもしれないけど、それよりも、今、一番の問題は。
 というか、一番の悩みの種。

 私は、一つ、大きな深呼吸。
 ドアをノックし、返事も待たずに押し開き、8畳ほどの広さの室内を見回し―――睨むようにして、一点を見つめてそこに歩み寄る。

「仕事、して下さい」

 椅子に座るその背に向かい言い放つのと同時に、がっしりと襟首を掴んだ。
 声のトーンがかなり零下なのは、仕様。
 他の人の目が私に集中している、それは当然なんだろうけど。
 場が沈黙しているのは、引いているのか、すでに慣れたのか。
 後者だったら哀し過ぎる。

「あ、琳子。すげーよ、コレ。おもしれー」

 多分、鬼の形相をしている筈の私に、満面笑みで頭を上げる。
 聞いてない、通じてない、この馬鹿には。

「そういう問題ではありません」
「何だよー。仕事してるだろー」

 子供全開で頬を膨らませて拗ねる姿に、私は右手に力を入れて無理やり立たせる。
 眉が攣りあがってるのも、きっと仕様。

「それは、あなたが個人的にバイトしてる内容。今は、社長として仕事に来てるのだから、そちらを優先して下さい」
「えー。やだよ~、後でいいじゃん、そんなの」
「嫌でも何でも、自分で社長をやると決めたのだから、やりなさい」
「めんどーだよ~。書類と睨めっことか暇だよー」

 無言で、後頭部を思いっきり殴りつけた。
 痛がってるのをそのままに、腕を掴むと引きずるようにしてその場を離れる。

「皆様、お騒がせ致しました。引き続き、業務を続けて下さい」

 ドアの前で反転、一礼し、哀しい事に恒例になりつつある挨拶。

「松浪さんも、お疲れ様」
「社長、こっちはまた後で。今は上で頑張って」
「ええっ! 誰も助けてくれないのっ!?」
「「「「「無理です」」」」」

 差し伸べられた手に返ったのは、息ぴったりな断言。
 当然だ、此処で引き止める人がいる訳がない。そこまで阿呆でもない筈だ。

「社長が、社長としても仕事をして貰わないと、僕らも困りますから。一応」
「うえええええ。裏切り者ー」

 笑顔での科白に、泣きが続いて。
 ていうか、どうして毎度毎度、同じ事をしてるのに懲りないんだか。

「それじゃ、仕事に戻りましょうか」

 これもお決まりの科白。
 溜息を付きたいのを我慢して、そのまま部屋を後にした。
 一日、最低5回は繰り返してる。
 本気で誰かどうにかして欲しいが、誰もどうにも出来ないのだから、私がするしかない。

「琳子~。酷いよー、せっかくイイ所だったのに…」
「琥珀、いい加減にしなさいよ?」
「うう、琳子が鬼だ…」

 涙目になる。22歳にもなって情けない事この上ない。
 何でこんなお子様がそのまま育った思考回路が社長に、と。
 もう何度繰り返したかわからないんだけど。

「琳子ぉ~」

 来た、来たよ。
 その顔、年の割に童顔っていうか少年全開で、中身も見た目も、少年なんだけど。
 更に、捨てられた子犬みたいな顔をする。
 何度となく、コレに騙されて来た。
 事実、社内のみんなはコレに騙されて――本人に騙す気はないから、更に性質が悪いんだけど――泣き寝入りというか、泣かれて負けるというか。

「そんな顔しても駄目。社長業務優先」

 きっぱりと言い切ると視線を逸らす。
 もう騙されないと思いつつも、私も未熟なのか、状況によっては折れてしまう訳で。
 だから見ないようにして。
 仕事の事に無理やり意識を集中させて。
 負けてなるものか、と。
 お陰で、精神はいらないくらい鍛えられてるんだけど。

「琳子が冷たい…」
「自業自得。しっかり仕事しなさいよ。嫌なら、最初から受けないで、断ればよかったの」
「…琳子、オレが爺ちゃんの跡って嫌?」
「誰が跡になろうとも、お爺様が認めたのならそれでいい。―――でもね、仕事しないってのは、そういう論法以前の問題。嫌とか嫌じゃないとか、仕事してない時点で嫌に決まってるでしょうが。第一、もう子供じゃないんだからね? 自分で決めた事くらい、きちんと成し遂げる努力をするべき。琥珀にとってそれは、お爺様の跡を継いで社長になたって事。書類が面倒とか言ってるレベルの話じゃないの、この会社の経営者っていう自覚あるの? 尤も、まだ完全に経営権は移ってないけど、学生だしね。でも、後々に全部琥珀の責任になる訳。それをわかってる? それにね、現状でも、琥珀が仕事しないと、会社が回らないのよ。止まるの、わかった?」

 横槍を入れられないように、一気に、しかも早口で言い切る。
 これで反論しようものなら、今の倍以上を言えばいいだけ。

「うう、ごめんなさい…」

 観念した。
 意気消沈、そんな言葉が似合うくらいに小さく大人しくなって、私は安堵の溜息を一つ。
 遅い。
 ていうか、それ以前の問題だけどね…。



 さて。
 社長室の机の上で、山積みとは言わないけど、小山程度になった書類の束が待っている。
 さっさとそっちを進めてもらわないと、支障を来たす所か、そのうち会社が転覆するって話。
 それがわからない訳ではないんだろうけど―――――そう思いたいけど。
 これを繰り返すたびに、私は思うのだ。
 やはり、祖父の願いであっても、断るべきだったんではないか、と。
 もう、今更だけど。



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 03 悪夢


 ふいに視線を私に戻した祖父が、やんわりと笑みを浮かべる。

「早いな。あんなに小さかった琳子も、今じゃこんなに大きくなった」
「……少し、大きくなりすぎた気もしますけれどね」

 私は身長が175センチもある。
 どうせなら、小さい方が良かった。身長が大きいだけでヘンに頼られたりした事もあったし、小さい方が可愛げがあるってもの。そこにいるだけで、場を和ませちゃったりも出来るしね。私は緊張させるのは得意みたいだけど。

「琳子」
「はい?」
「お前が、私への恩返しのつもりで働いていてくれている事は知っている」
「学生時代に言ったら怒られましたよね」
「好きな道を選べと言ったのに」
「何度も言いましたよね? 好きな道が、此処で働く事だと。だから何も言わないで履歴書送ったんですから。直接言ったら、絶対反対するだろうし、何より、コネで入ったみたいですから」
「苗字が違った事を此れ幸いとな。尤も、マスは気付いて、言って来たが…」
「普通に面接してくださって感謝しています」
「お前なら、もっと良い会社への就職も可能だったろに」
「檀家を80も持つ寺の住職の跡取という、約束された将来を投げ捨てて、会社を興した方の科白とは思えませんけど?」
「…これは、参ったな」

 得意げに返した私に、祖父は苦笑した。
 そう、斎賀家は、住職の家系だ。
 斎寺(いつきでら)という、何処にでも有りそうな感じの名前だが、先に言った通り檀家を80も抱え、その歴史は600年近くあるという由緒正しい(?)お寺なのだ。
 祖父は、その跡取息子だった――他は姉と妹――にも関わらず、後を継がずに会社を興した。
 補足すると、当時住職だった曾祖父の後を継いだのは竜馬さんで、一代抜けたが、斎賀の家はしっかりと住職の家系を守っている。

「さて、琳子」
「はい?」
「私は、休もうと思っているよ。しっかりとな」
「そうして下さい。無理が立ってるんですし、軽度とはいえ馬鹿に出来ませんよ。脳梗塞。それに一応、高齢に部類するんですから。お爺様には、もう2、30年は長生きして頂かないと」
「……流石に、そこまで生きるのは無理だろう。100歳超えるじゃないか」
「お爺様なら、200歳目指せます」
「それは流石に…」
「よく言いますよね? 親孝行、したい時に、親はなしって。私が両親に出来なかった親孝行、更に、父がお爺様に出来なかった親孝行の分も合わせて、お爺様に孝行するつもりなんですから。長生きして貰わないと困ります」
「…そうか。それなら、しっかり長生きしないとな」
「はい、そうして下さい」
「琳子。私は、辞任するよ」

 は?
 ええと、今、凄くあっさりと、とんでもない事を言ったような気が。
 私の聞き間違い?
 辞任って聞こえたんだけど…?
 じにん、ええと、辞任、自認、自任…。
 言葉の構成状態を見て、最初に浮かんだモノ以外合わないけど。
 やっぱり、聞き間違い?

「社長を、辞める、と言ったんだよ」

 もう一度、しっかりと、私を見て。
 辞める―――――そう、断言した。
 思考が停止するってこういうのを言うんだと、思う。
 頭が真っ白になるって、こういう事なんだって、何故だか冷静に考えてる自分がいた。

「どんな後遺症があるかはまだわからないが、これから検査もあるだろうからな。…琳子の言う通り、もういい年だ。それに会社の事を考えれば、此処で身を引いておいた方がいいだろう」

 それは、もう決定事項なんだと、私が何を言っても覆りはしないのだろう事がわかった。
 でも…。

「マスには、もう話をしてある。明日にでも、皆に伝えてくれるだろう」
「―――それで、益永さん、明日来るって…」
「ああ。マスに、琳子には黙っているよう頼んだからな。直接、言いたかったのもあるが、その件で、琳子に頼みがある」

 こくり、と生唾を飲み込んだ。
 何故だろう、忘れていた不安が脳裏を過ぎる。

「次の、社長の事ですか? 秘書を降りろと言うのであれば、営業に専念しますし、技術屋のサポートに回っても問題ありませんが? 益永さんから引き継ぐまで、やっていた事ですから」
「いや、出来れば続けてもらいたいと思っている。私の秘書を勤めるのはかなり大変だったと思うが、お前はよくやってくれていたし、社内全体をよく見てくれているから助かったしな」

 私は首を傾げた。
 実際、傾げた訳じゃないけど。
 祖父の言わんとしてる事がわからない。

「後をな、琥珀(こはく)に任せようと思っている」

 は?
 完全に、私の思考はそこで停止した。
 思考だけでなく、躰全体で。
 当然のように顔にもしっかり出てた。

「やはりな…。そういう顔をすると思ったぞ」

 苦笑した祖父の科白。
 だって、しない訳ないじゃない?
 琥珀?
 冗談にしてもキツ過ぎる…。

「冗談ではなく、本気だ。益永の了承は得てる」

 まるで私の心を読んだかのように。
 真っ直ぐに私を見つめて。
 でも、了承って。益永さんが? あの、琥珀に?

「琥珀は私に良く似ているしな」
「そうですか…?」

 思わず、尖った声で呟いた。
 多分、ロコツに嫌そうな顔もしてたと思う。
 だって、これまでただの一度も、そんな事を思ったことはないし、第一、琥珀と祖父が似ている訳がない。
 琥珀――斎賀琥珀(さいが こはく)は、竜馬さんの次男で、私からすれば従兄弟にあたる。
 8歳の頃、祖父の元に引き取られた私は、竜馬さんの息子2人と一緒に育った。
 所謂、幼馴染という部類に入るかもしれない。
 けれど。
 兄の一葉(かずは)さんは、典型的なお兄さん。
 私より3歳年上で、子供の頃からやたらしっかりしたお兄さんだったから、私も実兄じゃないけど兄のように思ってる。
 問題は、弟。
 それが琥珀。
 私より4歳年下で、今年の3月で大学を卒業する、疫病神。
 子供の頃から私の後を付いて周り、犬に追いかけられては私に助けを求め、モメ事を起こしてはその後始末を私に押し付け、果てに高校時代、私に“鋼鉄の戦女神”という有り難くない通り名を付けさせた張本人。
 好き好んで、近隣の不良を締める普通の女子高校生が何処にいるって言うのよ。
 わざわざ遠い高校選んだのに。
 それでも無駄だってわかったから、短大は片道2時間以上かかる所で独り暮らしをしてた。
 それなのに、何故か3日に1度は顔を合わせていた。
 夕飯漁りに来てただけみたいなんだけど…。
 ほっとけばって思うでしょ?
 それが出来れば、10年以上前にそうしてる。
 でもね、何ていうのかな?
 捨てられた子犬みたいな顔するから、ほっとけないのよ。
 何であんなに同情心を誘うのが得意なんだろうと思うし、もう騙されないとも思うんだけど。
 ああいうのに、弱い。
 会ったばかりの頃、琥珀は4歳になったばかりだったし、本当に子供子供って感じで。私もお世話になってるからって、弟みたいな感じで面倒みてたけど。
 次第に何か違うと思い始めて、絶対違うと気付いたけれど。
 もう手遅れだった、そんな状態。
 補足すると、進行中……。
 未だに、厄介事を運んでくる。 

 あ、何だか目眩がして来た。
 私が一人ぐらぐらしてるのを見て、むしろ、わかりきった反応なんだろうけど。
 祖父は本当に、本当に、すまなそうな顔をした。

「琳子が、嫌がっているのは理解しているつもりだ。それをわかっている上で、頼みたい」

 祖父は、私の事を良く知っている。
 多分、私が私自身を理解している以上に、私自身が気付いていない事まで、知ってる。
 と、思う。
 だから、益永さんを通して伝えるのではなく、祖父自身が伝えるのを選んだ。
 それに気付いてしまった。
 琥珀は確かに、私にとっては疫病神で、これまでの事があるから避けて通りたいというか、係わり合いになりたくない。正直言うと。
 でも。
 私は、祖父の頼みを断れない。
 それを知ってて、言ってる。
 すまなそうな顔をしているのは、私が祖父に恩を感じているからその頼みごとが断れないだろう事を理解した上で、頼んでいるから。

「正直、まだ学生で、甘やかした覚えはないが、甘えん坊に育っているから、心配は心配だ。だが、琳子が傍に付いてくれるなら何の心配もない」

 弱いな、と思う。
 頼りにされるのは、嫌いじゃない。
 必要とされるのは、嬉しいかもしれない。
 でも、限度がある。
 そして、琥珀はその限度を超えた存在。
 それでも。

「仕方、ないですね」

 祖父にそこまで言われて、断れるほど、私は爛れてない。
 正直、祖父以外の人に言われたら速攻で断って、辞職願いを提出するけど。

「続けてくれるか」
「はい…。第一、益永さんから引き継いだばかりなのに、すぐ辞める訳にもいきませんから」
「そこまで嫌か」
「だって、琥珀に関わるとロクな事がないから」
「確かにな。…入院した事もあったな」
「2度ほど」
「それでも、頼まれてくれるか」

 再度、確認の言葉。
 何て言いうか、他の人にとっては、驚きこそすれ、何でもない事だろうと思う。
 多分に。
 けれど、私にとっては。

「はい。やると言ったからには、きっちりやります。琥珀に、しっかり、社長としての任を真っ当させます」
「そうか、有り難う」

 祖父は、本当に嬉しそうに笑った。
 私は苦笑しか返せなかったけれど。

「琥珀もまだ学生だしな、今すぐの話ではないが。卒業前に引継ぎは済ませるつもりだ」
「わかりました」
 
 宣言した以上、やらない訳にはいかない。
 これからを思うと頭痛どころでは済まないのだけれど、それでもやるしかなかった。
 それはさながら悪夢のように思えた。
 極彩色の、底がないくらい性質の悪い、悪夢に違いなかった。




 私の日常は、こうして、壊れる事が決まったのだが。
 やがて壊れるどころでは済まない話になるのは、もう少し先の話。
 勿論、この時の私は、その後、降りかかる事になる、人生最大にして最凶の災いを知る筈もなかった。



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 02 病院


 病院は、正直好きじゃない。
 多分、好きな人なんて稀少だろうけど。
 私は足を踏み入れるのも、視界にその建物を入れるのも、好きじゃない。
 病院には、嫌な思い出しかないから。
 それでも行かなきゃならない。
 社長には、返しても、返しきれないくらいの、恩があるから。

 入院患者の見舞い専用の出入り口は帰る人がちらほら。
 その人達を避けるように、私は扉を潜った。

「琳子ちゃん」

 思わず、全身硬直。
 普段ならそんな事はないけど、自分の名前を呼ばれた事に、その声に、自然と反応してしまった。

「…竜馬さん」
「仕事、お疲れ様。会社の方は大丈夫だった?」
「はい。益永さんから連絡を頂いて、皆さん、一安心したようでした」
「そう。親父が迷惑かけるね」
「いえ、全く。迷惑など、一つもないです。自分で望んだ事ですから」
「そういう意味じゃないよ」

 困ったように笑った竜馬さんが、ぽんっと私の頭に手を乗せる。

「強張った顔してたよ? 此処、本当は来るの嫌だったんだろう? ―――それに、私が此処にいたのも、驚かせたね」

 その言葉に、再度、硬直。
 余り喜怒哀楽が激しい方じゃないから、こんな事って滅多にないんだけど。
 どうにも、弱い。
 この場所だけじゃなくて、竜馬さんにも。

「すみません。余計な心配をかけて、今、大変な時なのに」
「いいんだよ、そこまで他人行儀にしなくて。琳子ちゃんは、娘とも思ってるんだから。…とは言え、親父もそう思ってる様だから、私からすると妹と言った方がいいのかな」
「それだと、竜馬さんの息子さんより年下の妹になっちゃいますよ」
「確かにね」

 苦笑した私に、にっこりと、いつもの優しげな笑みを竜馬さんが浮かべて肩を竦めた。
 つられて私も肩を竦める。

「親父が待ってるからこのくらいにしておこうかな。病室、305号だから。それと、もし、遅くなりそうな時は連絡を入れるようにね? 誰か迎えをやるから」
「私、一人で帰れますよ? それに車で来てるので、迎えは大丈夫です。第一、もう26歳なんですから、一人で帰れないと駄目じゃないですか」

 私の科白に、きょとんとした顔をして、それから小さくクスクスと笑った。

「確かに、いつまでも子供のままな訳がないよね。それじゃ、此処を出る前に連絡を入れて貰えるかな。夕食の用意しておくし、お子様がヘンな問題起こすかもしれないからね」
「……はい」
「いつも琳子ちゃんには迷惑かけっぱなしだ」
「その点に関しては、否定しないでおいておきます」

 苦笑した私に、同じように苦笑して、竜馬さんは「それじゃ」と小さく言って、すれ違うように出入り口から出て行く。
 その背を見送ってから、両手をぐっと握りしめて、私は病室へと向かう。
 竜馬さんのお陰で気が少しだけ楽になったし、口に出してああいう風に言ったという事は、本当に私はそういう顔をしていたんだと思う。
 歩きながら、かなり酷い顔をしていたんだろうと今更になって実感した。
 そんな顔をしたまま病室へ行ったら、きっと大変な事になっただろうから。
 それでなくとも、心配をかけてると言うのに。

 305号室。
 斎賀京一郎(さいが きょういちろう)。
 病室と、名前も確認。此処だ。
 さて、最初に何と言おう。
 とりあえず、深呼吸を一つ。
 それからドアをノックして、返事を聞かずに扉を開く。

「琳子」

 開ききる前に自分の名前を呼ばれて、一気に何かが抜け落ちた。
 倒れた時からは想像も付かないくらい、普段通りの優しい声だったから。
 けれど、開いたその部屋は、安堵した私を再び落とすくらいの勢いをしっかり持ってて。
 TVで見た事しかないような機械が置いてある。
 コードが何本も合って、それらに繋がれてる。
 点滴くらいは、流石にわかるけど。

「会社の方は、何も心配ありません」

 気を引き締め様と思ってた私の口から出た科白は、そんなモノだった。
 別にそれを最初に言うつもりは全くなかったのに。

「マスから聞いたよ。心配かけたね」

 いたずらっぽい笑みを浮かべ、肩を竦める。
 私はその姿を見つめ、溜息を一つ。

「丁度良い機会ですから、ゆっくり休んで下さいね? お休みなんて、滅多に取られないんですから」
「そうだな」

 何度言っても聞いてもらえなかった科白、それなのに、返ったのはこれまで一度も聞いた事のない同意だった。
 思わず、凝視するように見つめ返してしまう。
 驚かない訳がない。
 私の知る限り、この人が仕事を休んだ、という記憶が全くないからだ。
 何時だって、休みなく動いていた。
 益永さんが何時だったか「マグロと一緒で動いてないと死んでしまうんだよ」と苦笑してた事があるくらい、止まってるのは寝てる時だけなんじゃないかと思えるくらいだったから。

「そこまで驚かれるとは思わなかったが…」

 苦笑して呟かれた科白に、ハタとする。

「いえ、普通に驚くと思いますけど。社長の辞書に、自分が休む、という単語はないと思ってました」
「まさか、そんな訳はない。…ただな、大変でもそれが愉しいし、完成した時の喜びを思えば苦労などヘでもない、喜んで愉しそうにしてる子供達の顔を見ると、疲れなんてふっとんだからな」
「躰の疲れは取れませんよ、それでは」
「全くだ」

 しみじみ痛感したとでも言うように、大きく頷く姿に、私は何だか嫌な予感を覚えた。
 いつだって子供みたいに、元気一杯で、落ち込んだかと思えばすぐに立ち直って、前以上に元気になっていた姿とは、何だか違って見えたから。

「琳子、此処は会社ではないよ。堅苦しいのは抜きにしよう。まずは、何時までも立ってないで座ったらどうかな?」
「わかりました」

 小さく肩を竦めて、傍にあった椅子に腰を降ろした。
 静かな眼差しで見守られるのはいつもの事だけど、いつまでたっても慣れそうにもない。
 何だかちょっと気恥ずかしい。

「此処へ来るのは、平気だったか?」
「はい、と言いたい所ですが、入り口の所で竜馬さんに会いました。かなり酷い顔だったみたいです」
「そうか。無理もないな」
「こればかりは、慣れようがありません。避けてましたから」
「もう、18年か」
「はい…。お爺様に初めて会ってからも、そうなります」

 目を細めて、遠くを眺めるようにした姿に、私は視線を逸らした。
 社長――斎賀京一郎は私の父方の祖父にあたる。
 この人に私が初めて会ったのは、両親が亡くなった後だった。
 やんちゃ坊主がそのまま大人になったような父は、何を勘違いしたのか、祖母の言葉を自己解釈し、結婚を反対されていると思い込んで駆け落ちしたらしい。
 松浪は、母の性。
 私の記憶にある父の姿も、休みのたびに、まるで子供のように我先に遊びに夢中になっていた姿だ。何処へ行くのも、私を遊ばせるためというのは名目でしかないと――名目なんて言葉は当時知らなかったけど――幼心に気付いていた。母も一緒になって愉しんだり、その姿を嬉しそうに眺めていた。
 そんな私の両親は、自宅が火事になって他界した。
 所謂専業主婦だった母が家にいたのはともかくとし、平日の昼間に家にどうして父が家にいたのかは、未だにわからない。私は当時、小学三年生だった。
 学校で先生から話を聞いて、言っている意味がよくわからなかったのを覚えている。
 その後、病院へ連れて行かれ、竜馬さんに会った。
 父の兄である竜馬さんは何度か家に遊びに来た事があったけれど、それでも、何故か怖いと思ったのは覚えている。
 両親とは、その日の朝、顔を会わせたきりで、亡くなった姿を見てはいない。
 私の記憶では、優しげに――むしろ愉しげに、笑っていた姿だけ。
 あの火事は、その日まで私が持っていたモノの全てを、私から奪っていった。
 それを思い出すから、私は病院が嫌いだった。



 遠い目になってる祖父の姿に不安が過ぎる。
 私にそれを思い出させようと来いと言う訳はないから。
 勿論、言われなくても来たけれど。
 昼間の悪寒を再度感じて、軽く身震いした。



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